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札幌地方裁判所 平成9年(ワ)2722号 判決 2000年1月25日

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

一  原告らの請求

被告は、原告らに対し、各自、三〇一三万七九四九円及びこれに対する平成八年八月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの請求原因

1  当事者等について

(一)  亡藤本賢治(昭和五六年一月八日生)は、原告ら夫婦間の三男であり、平成八年八月二九日当時、北海道札幌手稲高等学校(以下「手稲高校」という)の一年生であった。

(二)  被告は、手稲高校を設置、管理している。

(三)  千葉正伴(以下「千葉教諭」という)は、平成八年八月二九日当時、手稲高校の体育教諭であった。

2  事故の発生

亡賢治は、次の事故(以下「本件事故」という)に遭った。

(一)  事故年月日 平成八年八月二九日午前一〇時過ぎころ

(二)  事故の場所 手稲高校の長さ二五メ一トル、幅一五メートルで、八コースが設定されているプール(以下「本件プール」という。)

(三)  事故の態様

亡賢治は、二時間目の体育の正課授業として、千葉教諭の指導により水泳の授業(以下「本件水泳授業」という)を受けていた。その内容は、千葉教諭の合図で、本件プールの各コースを、生徒が四ないし五秒程度の間隔で順番に二五メートルを泳ぎきるというものであった。

亡賢治は、本件プールの六コースで四番目に泳ぎ出したが、途中で大量の水を飲み、スタート地点から17.7メートル進んだ付近で水面にうつぶせになっているところを他の生徒に発見された。

(四)  事故の結果

亡賢治は、事故当日の午前一一時三三分、搬送された札幌市北区新川三条二丁目所在の北成病院で死亡した。直接の死因は、溺死である。

3  被告の責任

(一)  被告は、亡賢治が手稲高校に入学することを許可したことにより、亡賢治に対し、学校教育の場において、亡賢治の生命、身体、健康の安全を配慮する義務を負った。右安全配慮義務は、第一次的には物的設備及び人的設備を充実させることにより、第二次的には生徒と接する職員がその教育活動の過程で発生する危険から生徒を保護するために具体的な方策をとることにより履行される。

本件事故は、正課授業中に発生したものである。生徒は、正課授業の間、担当の教諭から直接に指導を受け、その指導のもとで行動することを求められるから、正課授業中における安全配慮義務(第二次的な安全配慮義務)は、被告の履行補助者としての地位に立つ千葉教諭が負担し履行すべきである。

(二)  被告は、本件において、次の具体的な安全配慮義務を負う。

(1) 生徒の能力を把握しそれに見合った指導をする義務(適切な指導方法を選択する義務)

水泳は、水中での全身運動であり、溺れる等の事故が発生するおそれがある。教師は、いかなる危険が発生するかを予見し、それを回避するための措置を講じるため、あらかじめ生徒の水泳能力を確認し、その能力に応じた指導を行うべき義務がある。また、体育授業は、生徒の能力に応じた段階的な指導により、教育効果も上がり、授業に内在する危険に対応することも可能であるから、水泳授業において生徒の能力を把握することは、千葉教諭に課せられた義務である。

亡賢治は、ばた足ができて、それに応じて手を回転することができるだけで、息継ぎはできない状況であった。このような生徒を、水泳能力の優れた他の生徒と一緒のコースで、二五メートルを泳ぐよう指導することは不適切であり、危険を招致しやすいので、生徒の能力に応じて、生徒をコース別に区別した上で、指導する義務があった。

(2) 適切な監視体制をとる義務

水泳では予期しえない事故が起こるおそれがあるから、直ちに異常を発見し、救助措置がとれるような監視救助体制を整える義務がある。本件水泳授業のように水泳能力の優れた生徒と、全く泳げない生徒を同じコースで泳がせる場合、しかも、一つのプールで同時に泳ぐ生徒の数が二四名を超えるような場合には、その状況を把握するために、見学の生徒に監視させるなど数人による監視体制をとる義務があった。仮に、一人の教員が監視する場合には、生徒の安全を図れるように、人数を限定してプールに生徒を入れて泳がせるなど、人数の規制をする義務があった。

(3) 救助体制を整えて被害拡大を防止する義務

水泳授業では事故の発生が予想されるから、被告は、教師及び教師を通じて生徒に対し、救命方法を修得させ、事故発生の際の正確かつ迅速な連絡方法を確立し、生徒による救命活動、教諭による被害防止訓練を行う義務がある。本件でも、生徒には救命措置の訓練を行う必要があり、千葉教諭自身は人工呼吸等の技術を備える義務があった。

また、手稲高校では職員室と本件プールとは距離があったから、プールサイドには緊急用の電話の設置が必要であった。

(4) 生徒に対する指示・説明義務

水泳授業は、生徒の身体生命に危険を及ぼすおそれがあるから、教師は、授業に先立ち、生徒に対し、安全についての説明を周知させ、危険を未然に回避するように指導する義務がある。とくに、水泳のできない生徒に対し、授業の目的を説明し、自分の能力に合った方法を遵守するように指導する義務がある。

(三)  被告の安全配慮義務違反

千葉教諭は、本件事故前に、すでに三回にわたり水泳授業を行い、亡賢治の水泳能力を理解し、本件水泳授業の内容から、亡賢治の水泳能力やその監視体制の不備を原因として、事故が発生しうることが予見できたから、生徒を能力別にプールに入れたり、能力の劣る生徒を特別に監視したり、あるいは、補助要員として生徒に監視させたりする等の措置を講じて、安全に授業を行うため前記の安全配慮を尽くす義務があったのに、亡賢治が溺れたのに気付くまでに一分五秒を要した監視義務違反や亡賢治が溺れてから、引き揚げるまでに一分五五秒、救援指示までに三分二五秒、蘇生術(人工呼吸、心臓マッサージ)がなされるまでに六分三〇秒以上を要するなど適切かつ迅速な救命活動をすべき救護義務違反等の安全配慮義務違反によって、本件事故を発生させた。

(四)  したがって、被告は、国家賠償法一条の規定に基づき、本件事故によって原告らに生じた損害を賠償する責任がある。

4  損害

(一)  逸失利益 五九四七万五八九八円

(1) 亡賢治の年収 六七七万八九〇〇円(賃金センサス平成八年度第一表の産業計・企業規模計・新大卒男子労働者の全平均年収額による)

手稲高校は、大学進学率が高いから、亡賢治は、大学に進学して、平成一五年から社会人として就労した蓋然性が高い。亡賢治の年収は、平成一五年に就職した大学卒業者の平均収入によるべきである。

(2) 生活費控除 四〇パーセント

(3) 就労可能年数 四五年間(二二歳から六七歳まで)

(4) 中間利息控除 ライプニッツ係数14.6228(一八歳から六七歳までの四九年間に対応する係数18.1687より、一八歳から就労開始の二二歳までの四年間に対応する係数3.5459を控除したもの)

(5) 計算式 677万8900円(年収)×(1−0.4)(生活費控除率)×14.6228(ライプニッツ係数)

(二)  相続関係

原告らは、亡賢治の権利義務を、二分の一ずつ相続により承継した。

(三)  慰籍料 各一二〇〇万円

亡賢治の死亡により、両親である原告らが受けた精神的苦痛は極めて大きい。これを慰籍すべき金額としては、それぞれ一二〇〇万円が相当である。

(四)  葬儀費用 各六〇万円

亡賢治の葬儀費用に一二〇万円を要した。原告らは、それを二分の一ずつ負担した。

(五)  損害てん補 各一四七〇万円

原告らは、それぞれ一四七〇万円の支払を受けた。

(六)  弁護士費用 各二五〇万円

原告らは、原告ら訴訟代理人らに本件訴訟の追行を委任した。被告が負担すべき弁護士費用は五〇〇万円が相当である。

5  よって、原告らは、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、それぞれ、損害賠償金三〇一三万七九四九円及びこれに対する本件事故が発生した日である平成八年八月二九日から支払済みまで民法所定の民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

三  原告の請求原因に対する被告の答弁

1  請求原因1(一)ないし(三)の事実は認める。

2  同2の事実はおおむね認める。

ただし、正確には次のとおりである。

(一)  二時間目の授業時間は、午前九時五〇分から午前一〇時四〇分まである。

(二)  本件プールは、最も深いところで一メートル二〇センチメートル、最も浅いところで一メートルである。

(三)  千葉教諭は、最初の生徒が泳ぎだすときに合図しただけである。二番目以降の生徒が、順次泳ぎ出すための合図はしていない。本件水泳授業の内容は、各自の能力に応じてクロールで泳ぐ練習であり、途中で立ち止まることもできた。息継ぎをしながら泳ぎきる内容ではない。プールでの通常の水泳授業では、教員一名が指導に当たるのが通常であった。

(四)  亡賢治が大量の水を飲んだとの点は否認する。千葉教諭が救命措置をしたとき、亡賢治は、水を吐かなかった。亡賢治は、約二〇メートル進んだ地点、すなわち、ゴール手前五メートル付近で、五コース側のコースロープに水泳キャップを被った右頭部をつけるようにし、顔を水面に伏せて立っているような状態であった。

(五)  午前一一時三三分に溺死を直接の原因として死亡したとは、死体検案書の記載である。右時刻は医師が蘇生措置を中止し死亡を確認した時刻であり、溺死の原因は確認されていない。

3  同3について

(一)の主張は、一般論として認める。

(二)ないし(四)は争う。

亡賢治は、ばた足と腕の動作に合わせて数回息継ぎができる程度の水泳能力を身につけていた。

本件では、亡賢治が溺れてから、一九秒後に中西圭一が千葉教諭に異常を知らせ、四四秒後に千葉教諭が救助位置に駆けつけている。亡賢治をプールサイドから引き揚げ、救命活動を開始したのは、最大でも六四秒後のことである。千葉教諭は、救命活動として、自ら人工呼吸及び心臓マッサージを行っている。

仮に、千葉教諭に監視義務違反があったとしても、亡賢治の死亡との間には相当因果関係がない。

4  同4について

争う。生活費控除は、五〇パーセントによるべきである。

ただし、(五)の事実は認める。日本体育・学校健康センター北海道支部から見舞金二一〇〇万円、北海道高等学校PTA安全互助会から見舞金八四〇万円がそれぞれ支払われている。

四  被告の主張

1  本件事故の経緯等について

(一)  手稲高校は、水泳を体育の必修科目としており、平成八年度教科指導計画では、各学年に七時間実施する予定であった(ただし、実際には授業調整のため五時間に変更した)。

水泳の単元目標は、各泳法を通じて、総合的な身体能力の向上に努めさせ、安全や救急法を体得することであった。

一年生に対する水泳授業の課題は、クロールで二五メートル泳げるようにすることである。授業の進行は、次のとおり予定されていた。

(1) 第一回目 オリエンテーション、授業の注意、進め方

(2) 第二回目 クロールの基本技術

(3) 第三回目 能力別によるクロール練習(初級は、補助器具を用いる)

(4) 第四回目 能力別によるクロール練習(テストへの練習を含む)

(5) 第五回目 技能テスト

(二)  体育をはじめ、学校での授業等を安全に実施するためには、生徒の健康状況の把握が重要であるから、入学時に新入生の健康調査を行い、保護者から生徒の健康状況を確認している。さらに、毎年度の初めに、心電図検査(ただし、一年生のみ)や健康診断を実施している。その結果は、各教師に周知させ、異常所見のある生徒については、体育などの履修にあたって特に注意していた。また、入学時の体育科のガイダンスや授業のはじめのオリエンテーションでは、体調が悪い場合の届出、見学の方法について指導し、常に生徒の健康状態に配慮しながら、授業を進めていた。

亡賢治については、入学時の健康審査でも、健康診断や心電図検査でも異常は認められなかった。なお、亡賢治の身長は、165.5センチメートルであった。

(三)  平成八年度の水泳授業の進行

(1) 亡賢治は、一年二組に在籍していた。体育の授業は、一組から三組までを男女別に合同して実施していた。亡賢治は、男子四〇名で構成する体育男子一Aの二クラスに属していた。

(2) 平成八年六月二七日(木曜日)の二時間目に第一回目の水泳授業があった。水泳授業の内容・進め方の説明や、安全面の指導を中心としたオリエンテーションを行い、準備運動の方法や水に慣れさせるための水中歩行を実施した。

(3) 平成八年七月一一日(木曜日)の二時間目に第二回目の水泳授業があった。千葉教諭は、泳げない者や息継ぎができない者を自己申告させ、それらの者に対して、個別指導した。亡賢治も、その一〇名の一人であった。指導の内容は、プールサイドにつかまってのばた足・息継ぎの練習、浮き身の練習、面かぶりで進む練習であった。

ほかの三〇名(クラス生徒四〇名中の一〇名が初級者であった)については、四、五人のグループに分けて、三コースから八コースを使用して、面かぶり息継ぎクロールの練習をさせた。

(4) 平成八年八月二二日(木曜日)の二時間目に第三回目の水泳授業があった。初心者に対しては、前回と同様、一、二コースを使って、個別指導をした。指導内容は、プールサイドにつかまってばた足・息継ぎの練習、ビート板を使用してのばた足・息継ぎの練習、面かぶりクロールで息継ぎを何回か行う練習であった。この授業で、二五メートルを息継ぎをして泳げるようになった生徒もいた。個別授業を受けていた一〇名の生徒は、亡賢治を含めて全員、途中で立ち止まり呼吸を整えることがあっても、面かぶりクロールで息継ぎを交えながら、二五メートルを二往復することができた。

(四)  第四回目の水泳授業(本件水泳授業)

(1) 平成八年八月二九日(木曜日)の二時間目に、第四回目の水泳授業として本件水泳授業が行われた。授業の内容は、それまでの三回の授業を踏まえて、第五回目の授業におけるクロール二五メートルのテストに向け、各自の能力に応じて、課題をもって泳ぐことであった。

(2) 当日、出席した三九名の生徒は、見学者を除き、水着に着替えてプールのスタート地点に集合した。千葉教諭は、水着に着替え、本件プールの室温、水温、塩素濃度を確認し、整列している生徒のところに行った。

(3) 千葉教諭は、出欠をとり、欠席者が一名いること、当日の健康状態等から四名の生徒が見学を申し出ていることを確認した。他に、体調不良を申し出ていた生徒はおらず、千葉教諭の目にも、体調の異常さを感じさせる生徒はいなかった。

(4) 千葉教諭は、見学者には更衣室とトイレの清掃を指示し、当日の授業の内容を説明した。その内容は、次のとおりである。

① 次回にテストを予定している、初級者とそれ以外の者を分けないので、各自の能力に応じて、途中で立ち止まってもよいから、無理をせず、各自の課題をもってクロールで泳ぐこと

② 一つのコースを四、五名で、前の者が泳いだ後を間隔をとりながら順次スタートすること

③ 初級者は、上級者の泳ぎのフォームを参考にし、上級者は、初級者の手助けをして協力すること

(5) 千葉教諭は、生徒らを身長順に四列横隊に整列させ、八グループに分けた。生徒らは、滅菌シャワーを浴びた後、本件プールに入り、各グループ毎にスタート地点に向かって体操の隊形にひろがった。用意したラジオ体操のテープにあわせ、水中で準備体操した。千葉教諭は、体操の終了後、生徒をスタート台に集め、泳ぎ方を再度説明し、間隔を置きながら順次スタートするように指示し、最初のスタートだけを笛で合図した。亡賢治は、六コースのグループに入っていた。亡賢治のほか、針木、山本、中西圭一、高木志磨人からなる五名のグループであった。

(6) 各コースの一番目の生徒は、千葉教諭の合図で、一斉にクロールで泳ぎ始め、その後、三ないし五メートル間隔(時間にして三秒ないし五秒)で次の生徒が順次泳いでいった。千葉教諭は、スタート付近のプールサイドを移動しながら、泳いでいる生徒の全体状況を見ていた。

(7) 生徒らは、順次コースごとにほぼ全員がゴール付近に着いた。生徒から、「折り返し泳いでよいですか」旨の声があった。千葉教諭は、すでに折り返し始めた生徒もいたので、折り返してもよい旨指示した。生徒らは、コースごとに復路を順次泳ぎ始めた。

(五)  本件事故の発見と救護活動

(1) 各コースの生徒が折り返し始めた直後、突然、六コースにいた中西から大声で「先生」と異常を訴えるような声がした。千葉教諭が見ると、ゴール手前五メートル付近で、中西と高木が亡賢治の両脇を抱えるようにしていた。

(2) 中西が声を掛けるまでの状況は、次のとおりである。

① 八コースを三番目に泳いだ脇尚弘が、ゴールして振り向くと六コースの亡賢治が一見不自然な状態にあることに気付いた。同じく八コースを泳いでいた本間及び長谷武に伝え、潜って、亡賢治の様子を見た。亡賢治は、顔を水面に伏せ、立ったまま、前方にだらんと倒れるような格好で浮かんでいた。水中で立ち上がったり、バタバタともがいたりといった異常な様子はなかった。三人は、亡賢治がふざけていると思った。

② ほぼ同じ時に、亡賢治の次に泳いでいた高木がゴールして後ろを振り返る(高木は、途中で亡賢治を追い抜いているが、どこで追い抜いたか気付かなかった)と、二〇メートルライン付近に、亡賢治が五コース側のコースロープに水泳キャップを被った右頭部を付けるようにして、顔を水面に伏せたままの状態になっているのを見つけた。高木は、不審に思い、三番目に折り返しのスタートを切ろうとしていた中西に声をかけて、二人で亡賢治のところに近づいた。

③ 一番目に折り返した針木及び二番目に折り返した山本は、折り返し地点から五メートルのところで、水泳キャップを被った頭部を水面上に出している者に気付いたが、後の順番の者が泳いでいるものと思って、その横を泳ぎ過ぎた。

④ 高木と中西が亡賢治に声をかけ、触れた。亡賢治は、がくんとして全く反応がなく、ぐったりした状況であった。直ちに、中西が千葉教諭に、前記のように大声で異常を知らせた。

(3) 千葉教諭は、すぐに亡賢治をプールサイドに上げるように指示し、六コースのゴール付近に走り、亡賢治を上から抱きかかえるようにして引き上げた。中西や高木のほか、異常に気付きゴール付近に戻った針木や山本らも加わり、千葉教諭が亡賢治を引き上げるのを手伝った。

(4) 千葉教諭は、プールサイドに引き上げた亡賢治を一旦仰向けにした。亡賢治は、ぐったりし、意識がない状態であった。千葉教諭は、直ちに亡賢治をうつ伏せにし、水を吐かせる行為と意識の喚起を行った。亡賢治は、水を吐かなかった。千葉教諭は、再度、亡賢治を仰向けにし、「おおい」と叫ぶなどして意識を確認した。やはり反応はなかった。そこで、千葉教諭は、人工呼吸の措置(ジルベスター法・用手人工呼吸)を施した。亡賢治の気道に空気が通るような音がしたが、亡賢治の瞳孔は散大し、脈も感じられなかった。千葉教諭は、そばにいた中西に対し、職員室への連絡と、救急車の要請を指示し、心臓マッサージを開始した(心臓マッサージは、救急隊員に亡賢治を引き渡すまで続けられた)。

(5) 中西は、水泳着姿の自分より、見学者の方が早く職員室に到着できると考え、プール横のトイレにいた見学者の三國に、千葉教諭の指示を伝達し、職員室への連絡を頼んだ。三國は、職員室に駆け込んで本件事故のことを伝えた。高瀬則彦教頭(以下「高瀬教頭」という)は、直ちに一一九番通報した。その時刻は、午前一〇時一五分ころである。

(6) 三國の報告を聞き、当時職員室や体育教官室にいた教職員がプールに駆けつけた。中山体育教諭(以下「中山教諭」という)は、心臓マッサージを受けている亡賢治の後頭部に丸めたタオルを入れて気道の確保を図った。流田養護教諭(以下「流田教諭」という)は、亡賢治の腕と頚動脈部で脈を確認するなどした。亡賢治の脈はなく、顔色は普通であり、唇の色は少し白っぽく、体表面は暖かい状態であった。流田教諭は、マウストゥマウスによる人工呼吸を行った(人工呼吸は、心臓マッサージとのタイミングをとりながら、救急隊員に亡賢治を引き渡すまで続けられた)。

(7) 午前一〇時二〇分、救急隊が到着し、救急隊員による救命措置が行われた。午前一〇時二七分、亡賢治を乗せた救急車が手稲高校を出発した。

(六)  亡賢治の死亡の確認

(1) 救急車は、午前一〇時三一分、北成病院に到着した。医師による心臓マッサージ等の措置がされた。亡賢治の意識は回復せず、午前一一時三三分、主治医が両親の同意を得て、心臓マッサージを中止し、亡賢治の死亡が確認された。

(2) 死体検案書によれば、直接の死亡原因は溺死と記載されたが、溺死に至る原因については確認されていない。

2  亡賢治の死因

(一)  死体検案書の記載は、前記のとおりである。北海道大学医学部の寺沢浩一教授による司法解剖の鑑定書では、死因は不明であるが、溺死と考えて矛盾はない旨記載されている。

(二)  プールの水深は、亡賢治が立ってその頭部が水面上に出る程度のものであるから、亡賢治が誤って水を飲んだりした場合でも、水泳を止めて立ち上がりさえすれば呼吸を整えることが容易にできたはずである。亡賢治が、水泳を止めて立ち上がらなかったこと、もがいたりすることがなかったこと、事故発生後直ちに発見され、救命措置がとられたのに、意識が回復しなかったことを考え合わせると、死因を単純な溺死と考えることには疑問がある。

(三)  亡賢治の死因は、単なる溺死か、急性心不全等の他の原因はないのかは不明であるが、溺死といっても、常に水が多量に肺に吸引されるものだけではない。僅かの水でも、気管内の吸水により心臓抑制反応が起こり意識を失い、そのために沈み、その後心拍、血圧の回復により呼吸運動が回復して水を吸引する場合がある(気管内吸水のよる溺死)。また、遊泳中呼吸のタイミングを誤り、耳管内に水が入って錐体内(内耳)出血を起こし、平衡感覚の失調から意識を失うことにより、溺死する場合もある(錐体内出血による溺死)。

(四)  亡賢治は、もがくなどした様子がないこと、千葉教諭の救命措置まで(最大でも)六四秒程度しか経過していないこと、意識がなく、瞳孔が散大し、脈拍もない状態であったことからして、気管内吸水による溺死か、錐体内出血による溺死かの可能性が高い。

3  被告の安全配慮義務違反について

被告は、原告主張のような一般的な安全配慮義務を負っているものであるが、既に満一五歳に達している高校生の心身の発達の程度は、ほぼ成人に等しく、それを前提として、危険の種類や程度を予見し、事故の回避の措置をとれば足りる。本件においては、次のとおり、本件事故を予見することはできなかったし、必要な監視体制がとられて早期発見・救助がなされ、適切な救命措置がとられたから、安全配慮義務違反はない。

(一)  千葉教諭は、水泳の不得意な者に対し、第二、三回目の授業で個別指導をしている。亡賢治も、数回息継ぎができる状態になっていた。千葉教諭は、亡賢治の水泳能力を把握していた。上級者と初級者を一緒に泳がせることは、初級者は上級者の泳ぎを参考にできるし、上級者は初級者に指導する機会を得るという相互の教育効果を期待したものである。また、コースロープで仕切られたコースを順番に泳ぐことは危険を招致しやすい方法ではない。

(二)  本件では、コースロープで仕切られたコースを四、五名の生徒が互いに注意しながら、順番に整然と泳いでいた。そして、千葉教諭は、全体の進行状況を見渡せる位置にあって監視していたものであり、監視体制に問題はなかった。

亡賢治がもがき苦しむなどの異常を示すことがなかったのに、同じコースの他の生徒が気付き、すばやく救助・救命措置がとられているのは、監視体制に問題がなかったことを示している。

過去一五年間、北海道の高等学校において、水泳授業中のプール水死事故は、本件事故以外に一件も起きていない。

(三)  手稲高校では、学校事故発生時の対応・病院搬送までの連絡網を整備し、毎年実施される安全に関する研修等で被害防止訓練を教職員および生徒に徹底させていた。保健体育の授業で救命方法を指導し、何か異常があれば大声で叫ぶようにオリエンテーションで指導している。

本件事故の発生後の連絡及び救命措置は、教職員と生徒が一致協力して迅速に行われている。緊急電話としては、プールサイドの機械室に校内電話が設置されていた。本件では、生徒に直接走らせた方が迅速確実であるとの千葉教諭の判断であった。千葉教諭は、昭和四九年に日赤救急適任証を取得し、人工呼吸や心臓マッサージなどの救急蘇生法は熟知していた。

(四)  千葉教諭は、生徒に対する指示説明義務を十分に尽くしていた。本件授業の前に、最後にテストをする予定であるので、泳げる者と初級者とを分けず、各自の能力に応じて途中で立ち止まってよいから無理をせず、クロールで各自の課題をもって泳ぐように指示を徹底させていた。

五  本件の争点

1  本件事故の態様、とくに、亡賢治が溺れて救命措置がとられるまでの時間

2  被告の安全配慮義務違反、とくに、千葉教諭に監視義務違反ないし迅速かつ適切な救助措置をとるべき救護義務違反があったか

3  原告らの損害

理由

一  事実関係

請求原因1の事実及び亡賢治が本件事故により死亡したことは、当事者間に争いがない。右争いがない事実に、本件証拠(甲第一号証、第六、七号証、第一六号証、乙第一号証、第四、五号証、第七、八号証、第九号証の一、二、第一〇ないし第一二号証、第一八号証の一ないし八、第一九号証、第二一ないし第二七号証、第二九号証、第三三ないし第三五号証、証人中西圭一、証人高木志磨人、証人脇尚弘、証人長谷武、証人千葉正伴及び証人高瀬則彦の各証言)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。

1  亡賢治(昭和五六年一月八日生)は、平成八年四月、手稲高校に入学した。

手稲高校では、生徒の健康状態について、入学時の健康調査(保護者からの聞き取り)、毎年度の初めの健康診断や心電図検査(ただし、一年生のみ)で確認し、これらの結果を、各教員に周知させていた。

亡賢治は、身長165.5センチメートル、体重51.2キログラムであり、心臓を含めた検査で異常は認められなかった。

2  平成八年度の手稲高校では、一年生の水泳授業について、クロールで二五メートルを泳ぐことを課題に五回の授業を予定していた。

亡賢治も次のとおり、本件水泳授業の前に、三回の水泳授業を受けた。なお、亡賢治は、一年二組に在籍し、体育の授業は、一組から三組までの生徒を男女別に合同した四〇名の男子で構成される体育男子一Aの二のクラスで受けていた。右クラスの担当は、千葉教諭であった。

(一)  第一回目の水泳授業は、平成八年六月二七日の二時間目(二時間目の授業時間は、午前九時五〇分から午前一〇時四〇分までである)に行われた。

千葉教諭は、水泳授業の内容や進め方の説明、安全面の指導を中心としたオリエンテーションを行い、準備運動の方法や水に慣れさせるための水中歩行を実施した。

(二)  第二回目の水泳授業は、平成八年七月一一日の二時間目に行われた。

千葉教諭は、この日、泳げない者や息継ぎができない者にその旨自己申告させた。水泳が不得意と申告した一〇名の生徒を、一コースと二コースを使って指導した。その中でも比較的水泳能力のある者を二コースに配置した。指導の内容は、プールサイドにつかまってのばた足・息継ぎの練習、浮き身の練習、面かぶりで進む練習であった。千葉教諭は、特に一コースの生徒を個別的に指導した。

亡賢治も、水泳不得意と申告した一〇名のうちの一人であった。亡賢治は、息継ぎがうまくできなかったが、一応クロールで泳ぐことができたことから、二コースで練習した。亡賢治と同じ一年二組の高木と脇も、初心者コースに所属した。亡賢治の泳力は、高木とほぼ同じで脇よりも上手といった程度であった。

そのほかの三〇名は、四、五人ずつのグループに分けて、三コースから八コースを使用して、面かぶり息継ぎクロールの練習をした。

(三)  第三回目の水泳授業は、平成八年八月二二日の二時間目に行われた。

千葉教諭は、この日も、水泳の不得意な者を、一、二コースを使って指導した。前回の授業の内容に加え、ビート板を使用してのばた足・息継ぎの練習、面かぶりクロールで息継ぎを何回か行う練習を行った。

初級者に分類された生徒は、亡賢治を含めて全員、呼吸を整えるため途中で立ち止まることがあっても、面かぶりクロールで息継ぎを交えながら、一応二五メートルプールを二往復することができた。

3  第四回目の水泳授業(本件水泳授業)は、平成八年八月二九日の二時間目に行われた。その授業の内容は、それまでの三回の授業内容を踏まえて、第五回目の授業におけるクロール二五メートルのテストに備え、各自の能力に応じて、課題をもって泳ぐことであった。

本件水泳授業の進行状況は、おおよそ次のとおりであった。

(一)  水着に着替えた千葉教諭は、二時間目開始後、生徒らが集合するまでの間、本件プールの室温、水温、塩素濃度の測定を行った。室温三〇度、水温二八度、塩素濃度は一リットル中0.7ミリグラムであって、問題はないと判断した。

(二)  更衣を終えた生徒らがプールサイドに集合した。千葉教諭が本件プールに設置された時計を確認すると、午前九時五五分ころであった。

千葉教諭は、生徒の出欠をとった。欠席者が一名あり、健康状況等から見学を申し出た者が四名あった。残り三五名の生徒は、体調不良を訴える者はなく、とくに体調の異常を感じさせる者もいなかった。千葉教諭は、見学者に更衣室とトイレの掃除を指示した。

(三)  千葉教諭は、当日の授業内容として、次回のクロールのテストに備え、各自の能力に応じて無理をしないで二五メートルを泳ぐように説明した。

生徒らは、滅菌シャワーを浴びて、本件プールに入り、スタート台に向かって体操の隊形にひろがった。ラジオ体操のテープにあわせ、水中で準備体操を行った。

体操の終了後、千葉教諭は、生徒をスタート台付近に集め、再度、無理をしないように間隔を置きながら順次スタートして二五メートルをクロールで泳ぎ、全員がゴールしたら折り返すように指示した。

(四)  三五名の生徒は、本件プールの八コースにほぼ身長順に四名ないし五名の集団に別れて入った。千葉教諭の笛の合図で、最初の生徒が泳ぎ始めた。その後を適宜三メートルないし五メートル(時間にして約三秒ないし約五秒)程度の間隔を置いて、生徒らが順次泳ぎ始めた。

(五)  千葉教諭は、スタート台側のプールサイドを移動しながら、泳いでいる生徒の全体状況を見ていた。

4  本件事故の発生状況は、概ね次のとおりであった。

(一)  亡賢治は、本件プールの六コースに入った。そこには、亡賢治のほか、針木、山本、中西及び高木の合計五名の生徒がいた。

(二)  最初に、針木が泳ぎ始めた(針木は、水泳部に所属し、二五メートルを一五秒程度で泳げた)。その後を山本、中西と続いて順次泳ぎ始めた(山本と中西はほぼ同じ程度の泳力であり、二五メートルを二〇秒程度で泳げた)。亡賢治は、四番目に泳ぎ始めた。最後に、高木が泳いだ。

(三)  水中メガネを忘れた高木は、目をつぶったまま、二五メートルをクロールで泳ぎきった(ゴール付近には先に到着した生徒がいたので、正確には二五メートルのゴールの手前で立った)。ゴールには、亡賢治がいなかった。高木は、亡賢治を追い抜いたことに気付かなかった。高木が振り返ると、亡賢治は、本件プールの六コースのゴールより約五メートル程度手前(警察の実況見分の際に千葉教諭が指示した地点は、スタート地点から17.7メートルのところであった)で、顔をうつ伏せにして浮いていた。高木は、最初、亡賢治が潜水しているのかと思った。亡賢治が途中でもがいたり手足をばたつかせたりした様子は全くなかった。

(四)  針木は、高木がゴールしたので、千葉教諭に折り返すことの承諾を求めて声をかけ、スタート台に向けて泳ぎ始めた。針木に続いて、山本も、泳ぎ始めた。

(五)  高木は、亡賢治がゴールから約五メートルほど手前で動かないままであることに異常を感じた。山本に続いてスタート台に向けて泳ぎ始めようとした中西(中西は、亡賢治の姿を見て、ゴール手前で立ち上がろうとしているものと思い、特に気に留めていなかった)に対し、亡賢治の異変を伝えた。高木と中西は、水中を歩いて亡賢治に近づいた。

(六)  八コースを三番目に泳いでゴールした脇も、亡賢治がゴール手前で顔をうつ伏せにしているのに気付いた(脇は、最初、亡賢治が水の中の落とし物を捜しているのか、ただ水に顔を付けてるのかと感じた)。脇は、後から泳いできた長谷に対し、亡賢治の状況がおかしい旨伝えた。長谷は、亡賢治がふざけているのではと答えたが、二人は、水に潜り、水中めがねを使って、亡賢治の様子を見た。亡賢治は、顔を水面に伏せ、足をプールの底に向けて立った状況で、前方にだらんと倒れるような格好をして浮いていた。中西らが亡賢治に近づくのと、ほぼ同じころのことであった。

(七)  亡賢治のところに到着した高木と中西が、両手をかかえて亡賢治を起こそうとした。亡賢治は、がくんと首を下げ、反応がなかった。中西は、直ちに千葉教諭に大声で亡賢治の異常を知らせた。

(八)  千葉教諭は、中西の声を聞いて、亡賢治の異変を知り、亡賢治をプールサイドに引き揚げるように指示した。小走りで六コースのゴール付近に行き、高木と中西がゴール下に連れてきた亡賢治を引き揚げた。中西や高木のほか数名の生徒も、千葉教諭が亡賢治を引き上げるのを手伝った。

5  千葉教諭は、プールサイドに引き上げた亡賢治を一旦仰向けにし、亡賢治の状態を確かめた。亡賢治には、意識がなかった。千葉教諭は、亡賢治をうつ伏せにし、亡賢治の腹部を千葉教諭の大腿部の上に乗せ、亡賢治の口に指を入れて、背中を叩き、水を吐かせる行為と意識の喚起を行った。亡賢治は、水を吐かなかった。千葉教諭は、再度、亡賢治を仰向けにし、「おおい」と呼びかけるなどして、意識の有無を確認しようとしたが、反応はなかった。次に、千葉教諭は、亡賢治の顎を持ち上げて気道を確保するとともに、胸部を開くように腰に手を入れて少し持ち上げた。亡賢治の気道には、空気が通るような音がした。しかし、亡賢治の瞳孔は拡大し、脈も感じられなかった。千葉教諭は、そばにいた中西に職員室に連絡し、救急車を呼ぶように指示した。千葉教諭は、亡賢治に対し、ジルベスター法による人工呼吸と心臓マッサージを施した。

6  中西は、水着を着ている自分より、見学者の方が早く職員室に行けると考え、見学していた三國に対し、千葉教諭に指示されたとおりのことを伝えた。三國は、職員室に向けて走った。職員室の入口付近で菅原教諭らに会い、「誰かが溺れた。救急車を呼んでください」と伝えた。高瀬教頭は、菅原教諭らの「溺れた」「救急車」等の声を聞き、すぐに一一九番通報した。その時刻は、午前一〇時一五分であった。

7  職員室や体育教官室にいた教職員らがプールに駆け付けた。中山教諭は、心臓マッサージを受けている亡賢治の後頭部に丸めたタオルを入れて気道の確保を図った。流田養護教諭は、亡賢治の腕と頚動脈部で脈を確認した。亡賢治の脈はなく、顔色は普通であり、唇の色は少し白っぽく、体表面は暖かった。流田教諭は、マウストゥマウス法による人工呼吸を行った。

千葉教諭らの人工呼吸及び心臓マッサージは、救急隊員に亡賢治を引き渡すまで続けられた。

8  午前一〇時二〇分、救急隊が到着した。亡賢治には、自発呼吸、心臓の拍動、両眼の対光反射がなく、瞳孔は左右ともに五ミリ程度散大していた。直ちに救急隊員による救命措置が行われた。午前一〇時二七分、亡賢治を乗せた救急車が手稲高校を出発した。救急車は、午前一〇時三一分、北成病院に到着した。医師による心臓マッサージ等の措置がなされた。亡賢治は、蘇生せず、午前一一時三三分、死亡が確認された。

9  死体検案書によれば、直接の死亡原因は溺死と記載されたが、溺死に至る原因については確認されていない。また、死体解剖の鑑定の結果によれば、解剖からは死因は不明であるが、人工呼吸及び蘇生術施行の際に気道から泡沫と液体が多量に流出したという状況から考えれば、溺死(外因死)と考えて矛盾はない、心臓が三六〇グラムで、やや肥大しているものの、冠状動脈及び心筋に異常が認められないことから、死因との関連については否定的である、ただし、生前に不整脈等が有ったか否かによって判断が変わりうるとされている。

10  本件プールは、昭和六〇年に手稲高校内に建設された長さ二五メートル、幅一五メートルの八コースが設定された室内プールである。最も深いところで一メートル二〇センチメートル、最も浅いところで一メートルある。

二  以上の事実を前提として、争点について判断する。

1  本件事故の態様について

(一)  本件事故の態様は、前項認定のとおりと認められる。

(二)  亡賢治が溺れてから救命活動が始まるまでの時間について、争いがある。

被告は、本件事故の関係者の行動を秒単位で再現し(乙第九号証の一、二、第一〇号証)、亡賢治が溺れてから救命活動を開始したのは六四秒後のことである旨主張する、しかし、本件事故の再現が正確にできる条件・保障はないから、被告主張のような時間の経過で本件事故が発生していたと認めることは到底できない。せいぜい関係者の行動にどれくらいの行動にどれくらいの時間がかかったかの参考とするしかない。

他方、原告らは、原告代理人が高校生に本件事故を再現させた状況(甲第二五号証)から蘇生術がなされるまでに六分三〇秒以上を要した旨主張している。しかし、原告ら代理人が行った本件事故の再現は、被告の本件事故の再現以上に本件事故の再現の正確性の保障を欠くものであり、直ちには採用できない。

(三)  前記認定の事実を前提に、亡賢治に異変が生じたときから救命活動がなされるまでの時間を検討してみると、次のとおり推測できる。

前記認定の事実関係によれば、亡賢治に異変が生じてから救命措置が施されるまでの時間は、(1)亡賢治が異変を生じた時点において、高木が泳いでいた位置からゴールまで泳ぐのにかかった時間、(2)高木がゴールに到着後、亡賢治が水面にうつぶせになっているのを観察していた時間、(3)不審を感じた中西及び高木が亡賢治の側に歩み寄る時間、(4)中西及び高木が亡賢治の異変を確認して亡賢治をゴールに連れてくる時間、(5)千葉教諭らが亡賢治を引き揚げるのに要した時間を合計したものとなる。

正確な時間の認定は困難であるが、概算すると、一応次のようになる。

(1) 高木は、亡賢治に異変が生じてから約一五秒後にゴールしたことになる。

高木と亡賢治の泳力を同じ程度で二五メートルを三五秒で泳げるとする。高木は、亡賢治の五秒後に泳ぎ始めたとする。亡賢治が、一八メートル進んだ時点で異変が生じたとする。とすれば、高木は、亡賢治に異変が生じてから、亡賢治のところに来るまでに五秒を要し、さらにゴールするまでの七メートルを泳ぐのに約一〇秒を要することになるから、亡賢治に異変が生じてから高木がゴールするまで約一五秒を要したことになる。

(2) 高木がゴール到着後亡賢治を観察している時間は、約二〇秒程度とすることができる。

高木は、亡賢治を見ていた時間が二〇秒ないし三〇秒と証言している。客観的な事実として、高木がゴールに到着し、高木と中西が異変を感じて亡賢治に歩みよるまでに、針木と山本がスタート台に向けて泳ぎ始め、中西も泳ぎ始めようとしていることからすれば、針木が泳ぎ始めて中西が泳ごうとするまでに約一〇秒程度は経過していることになる。とすれば、高木が亡賢治を観察していた時間は二〇秒程度と一応推測できる。

(3) 高木と中西が亡賢治のそばに歩み寄る時間は、一〇秒程度とする。

乙第一〇号証では五秒足らずとなっているが、甲第二五号証での生徒の水中を歩く速度も考慮すれば。約七メートル先まで歩く時間は一〇秒程度とすることができる。

(4) 中西及び高木が亡賢治の異変を確認して亡賢治をゴールに連れてくる時間は、二五秒程度とする。

乙第一〇号証では、中西が千葉教諭に異変を知らせて千葉教諭が六コースのゴールに到着する時間が二五秒間になっている。甲第二五号証では、溺れ役の生徒の腕を肩にかけて7.3メートルを移動するのに一一秒ないし一二秒を要したとする。

とすれば、高木らが亡賢治の異変を確認してゴールに移動する時間は二五秒以上要することはなかったと推測できる。

(5) 千葉教諭らが亡賢治を引き揚げる時間は、五秒とする。

甲第二五号証では、溺れ役の生徒をゴール下からゴールの上に引き上げるのに五秒以上要したとしているので、亡賢治を引き上げる時間を一応五秒とする。

右(1)ないし(5)で検討したところによれば、亡賢治に異変が生じてからプールサイドに引き上げられて救命活動が始められるまでの時間は、合計一分一五秒となる。この検討した時間自体正確性を欠くものである。しかし、右検討したところからすれば、亡賢治に異変が生じてから救命活動が始められるまでの時間は多めにみても一分三〇秒程度であり、二分間以上経過することはなかった。また、亡賢治に異変が生じてから生徒がこれを千葉教諭に知らせるまでの時間も多めにみても一分間以上は経過していないと推測することができる。

2  原告ら主張の安全配慮義務違反は、以下のとおり、これを認めることができない。

(一)  生徒の能力を把握しそれに見合った指導をする義務(適切な指導方法を選択する義務)違反について

前記認定のとおり、千葉教諭は、本件水泳授業を開始する前の授業において、水泳の不得意な者を個別に指導し、全員が呼吸を整えるため途中で立ち止まることがあっても、面かぶりクロールで息継ぎを交えながら、二五メートルプールを二往復することができる状況になっていたこと。亡賢治自身も、息継ぎがうまくなかったが、クロールで二五メートルを泳ぐことができたこと、本件水泳授業は右のような個別指導を経た第四回目の水泳授業であったこと、本件水泳授業は四〇名の高校一年生の男子生徒を対象とするものであったこと(ただし、実際に本件水泳授業で泳いだ生徒は三五名である)、亡賢治の身長は165.5センチメートルであり、本件プールは水深一メートルないし一メートル二〇センチメートルのプールであったことを考慮すれば、千葉教諭が、本件水泳授業において、生徒らを能力別に区別することなく、また、一つのコースを泳ぐ人数を制限するなり、全員がゴールしたことを確認してから折り返すように指示することなく、適宜間隔をあけて順番に、各自の能力に応じて無理をせず、二五メートルをクロールで泳ぐように指導したことが不適切であったとすることはできず、千葉教諭の指導をもって、生徒の能力に見合った適切な指導方法の選択を誤った義務違反があったと認めることはできない。

証人高嶺隆二の証言は、右判断を左右しない。

(二)  適切な監視体制をとる義務違反について

(1) 前記認定した本件水泳授業を受けた生徒らの水泳能力、授業を受けた生徒らの人数、水泳授業の回数、本件プールの構造や道内の高校の水泳授業では一般的に教師一人が四〇名程度の生徒を監視していることを総合すれば、本件水泳授業の監視者が千葉教諭一人であったことが適正でなかったとすることはできず、本件水泳授業で、他の教師や見学の生徒を監視者にしなかったり、泳ぐ人数を規制しなかったりしたことをもって適切な監視体制をとる義務に違反したと認めることはできない。

(2) なお、本件において、亡賢治が頭を浮かべた状況は、一分間近く続いていた可能性もある(短ければ、三〇秒足らずの可能性もある)。亡賢治が途中でもがいたり手足をばたつかせたりした様子がなく、亡賢治の浮いていた位置が比較的ゴールに近かったとしても、千葉教諭がその間生徒に指摘されるまで亡賢治の異変に気付かなかったことは、千葉教諭の生徒に対する目配り・監視が十分でなかったとの批判の余地が残る。しかし、仮に千葉教諭が生徒より先に亡賢治の異変を発見しても、前記認定のとおりほぼ一分以内に発見され、その後の救命活動も適切にされながら、亡賢治が救命されなかった(乙第一七号証によれば、呼吸停止してから二分以内に人工呼吸を行えば蘇生の可能性は約九〇パーセントあり、四分以内でも約五〇パーセントあるとされている。また、甲第一〇号証によれば、脳の細胞の不可逆的な損傷を避けるために四分以内に心肺蘇生法を施すことが重要であると指摘されている)ことからすれば、亡賢治の死亡の結果が避けられたとの心証を得ることができない。したがって、仮に亡賢治の異変の発見が遅れたことを千葉教諭の過失としても、本件事故の発生との間に因果関係があったと認めることはできない。

(三)  救助体制を整えて被害拡大を防止する義務違反について

前記認定の事実関係のもとにおいて、千葉教諭を含めた教師の救護活動(千葉教諭が人工呼吸法としてマウストゥマウスの方法によらず、講習を受けた経験のあるジルベスター法を採用したことが不適切であるとすることはできない)や職員室への連絡方法、さらに一一九番への連絡が、迅速性を欠き適切でなかったと認めることはできない。

原告らは、蘇生術がなされるまで六分三〇秒以上かかった旨主張しているが、これを認めることができないのは前記説示のとおりである。また、プールサイドの緊急用の電話を使用しなかった(本件プールの機械室には電話が設置されていた)ことをもって、救助体制が不十分であったとすることもできない。

(四)  生徒に対する指示・説明義務違反について

前記認定の本件水泳授業までの水泳授業の内容や本件水泳授業自体の内容に照らせば、生徒にする水泳の授業の危険性や安全配慮についての指示・説明義務に違反するところがあったと認めることはできない。

三  よって、原告らの本訴請求は理由がないから、これを棄却する。

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